小国レイヌに最近風変わりな二人組が入国した。どちらも男だったが赤子を連れていて、もらい子かと聞けば「俺が産んだよ」と片方がしれっと答える。ナサヤという二十歳の青年だった。男ながらに子供を産む、グラニと呼ばれる性質だ。
 子の父親にあたるもう片方はサトリといって、同じく二十歳の青年。小国レイヌが目下絶賛募集中の兵士に志願した。入隊試験で目に映った兵士を端から模擬剣でやっつけ、模擬剣が折れれば残らず投げ飛ばしたので、王城の修練場がどよめいているそうだ。
 だが当人はそんな評判はどこ吹く風で、新米のくせに定時になると先輩兵士の誘いを断ってさっさと伴侶と我が子の待つ家へ帰ってしまう。
「聞きたいことは山ほどある」
 騎士オズワルド・ヴァースは、エスプレッソの小さなカップを振り回す勢いで嘆いた。わかるよ、と応じたのは金細工職人の跡目のリン・メイスフィールドである。日暮れ時を迎えるカフェの中で、年の離れた友人同士ひさびさに落ち合ったのだった。
「だが定時で帰ってしまう! 訓練中は黙々としたもので世間話にも応じやしない。みな興味津々なのにだ。サトリの強さにも。ナサヤとの子供にも。夫婦、いや夫夫か、その馴れ初めにも!」
「国王陛下の覚えもめでたいのでしょう?」
「別段それを誇った様子もないのだよ、サシエ。陛下が声をかけたって奴は定時で帰るよ。困ったものだ。とにかく伴侶と子供にしか興味がない」
 深いため息をついて、オズワルドは天を仰いだ。
「例えば誰かがナサヤと打ち解けてくれればなあ。サトリも自動的についてくるんだが」

 クィリル・ハートネットは図書館で書架整理をして働いている。図書館の図書スペースに入るには入館証がいるのだが、館内に入ってすぐの、出入りを制限するカウンターの前にあまり見かけない人影を見つけて、思わず棒立ちになった。その男は、まだ生後数ヵ月の赤ん坊を抱えて、図書館の内装を興味深げに眺めていた。
 クィリルと目が合った男は、こんにちは、と人懐こい様子で声をかけてきた。
「ナサヤだ」
「……クィリルよ、クーと呼んで」
「よろしく、クー。この子はハオ。新生児に人込みはよくないというから、ここへ来てみたんだ。静かでいいな」
 クィリルは、ナサヤのことを顔はわからずとも存在は知っていた。その配偶者のことも。この頃、大して弾まない会話にねじ込むように街の噂を仕入れてくるリンのおかげといえばそうだ。
 男にして子を産むグラニ。稀少な存在。大陸ではもうほとんど見ないという。
「……ここは入館証がないと入れないわ。残念だけど」
「うん、そうみたいだな」
 クィリルの言葉に、ナサヤが小声で応じる。一応図書館内であることを憚ってはいるが、人懐こい笑顔の中にも会話への飢えが感じられて、それはそうだろうなとクィリルは思った。やってきたばかりの知り合いもない街の中で、配偶者が働いている日中の間はろくろく話せない赤子につきっきりなのだ。
 そして、外に滞在できる時間も短い。
「また来ても?」
 ナサヤのにこやかな問いかけに、クィリルは精一杯微笑む。
「教会へ行くといいわ。子供向けの本があるし、出入りが自由よ」

 夜。訓練後の身体を流したサトリを出迎えたナサヤに、ハオは、と聞く。 「眠ってるよ、今日もよく寝て食べて元気だった」
「いつも任せて悪いな。非番の日は俺が見てるから、どこかで羽伸ばすといい。……といってもそんなとこまだ無いか?」
 開拓しないとな、とサトリが言うと、そんなこともなくてさ、とナサヤがくすくす笑う。寝椅子に腰かけたサトリの隣で膝立ちになって、ナサヤが濡れ髪を手拭いでくるみこむ。
「どこかへ行った?」
「図書館に」
「本なんか読むのか」
 サトリがあまり意外そうに言う。なるほど俺に知的なイメージはないんだな、とナサヤは素直に思いながらひたすら髪を拭うだけだった。サトリとナサヤは子どもを持った連れ合い同士だが、わけあって恋人同士としての積み重ねはまだまだだった。
「や。静かだからいいかな、と思って。何て言ったかな、そう、クーだ。女の人に会った。ナントカ証がないと入れないって。でも子供向けの本が教会にあるって」
「司書?」
「……シショって何?」
 そしてわけあって、ナサヤには一般常識が圧倒的に足りない。図書館で働いてる人はたぶんみんな司書だと思う、とサトリが答えると、へーえ、といつも通り心底感心した。
 ふと。サトリの手がそっとナサヤの目の下の柔らかい皮膚を撫でる。
「……何?」
「隈。……なあ、子守りを雇わないか」
「子守り?」
「昼間だけでも見てくれる人がいたら、ナサヤも少しは眠れるだろ。……ハオを他人に任せるのは不安か?」
 サトリの気遣いにあふれた声に、「いや、考えたことがなかっただけ」とナサヤが首を振る。
「でも、誰に頼めばいいんだろう……クーなら知ってるかな」
「聞いてみるといい」
「うん」
 ところで、とナサヤが首を傾げた。
「……サトリは毎晩お早いお帰りだけど、どうなんだ? 付き合いとかないのか?」
「……まあ、あるんだろうが……」
 気が進まない、と聞いたが早いか、ナサヤの視界がひっくり返る。
「俺たち、出会って一年だよな」
「……うん?」
 押し倒された状態だと気づいたり、質問の答えを考えたりと忙しいナサヤに、淡々サトリが続ける。
「なのにお前との触れ合いが絶対的に足りてない。そっちが優先だ」
「妊娠中でも『仲良く』していいことを知らなかったのはサトリだろ? もう俺とはいつでも一緒にいられるんだから、職場での振る舞いも大事にしてくれよ」
「うん、満足したらな」
 優しい抱擁に阻まれて、抗議の声が流れた。

「というわけで、子守りを探しているそうなんだけど」
「こんにちはー」
 カフェの店主夫妻、ワンズとサシエは刹那の間目配せしあった。ワンズが目でのたまって曰く、――誰かオズワルドに知らせてやれ、クィリルがあのナサヤを連れてきたと。サシエが目で応えていわく――それより、お客のご所望が先よ!
「ごめんなさい、サシエ。あなたなら何かいいことを知ってるんじゃないかと思って」
「頼ってくれて嬉しいわ、クー。どうぞ座って、二人とも」
 妻の剣幕に制されて、ワンズはやれやれとカップを二つ取り出しながら。今にリンのやつがやってきて、この噂を広めるに違いない。めっぽう強く勇猛な新入り兵士の伴侶をカフェに引っ張り込んでやったと。この噂のるつぼたるカフェに飛び込んだなら、もう誰も他人同士でなどいられないのだ。
おしまい。